あらためて、エナジーのこと。
あらためて、エナジーのこと、
私のこれまでの魂の旅のこと、
書いてみました。
これまでも、エナジー・ワークについては学んで来ましたが、
今、あらためてボディー・ワークとリンクするエナジー・ワークを取り組んでいます。
そのことを書いてみたら、
私の魂の遍歴のことになりました。
ちょっと長い(?そうでもないかw)
文章になりましたけれど、
よろしかったら、読んでくださいね💖
自分にとってずっと
どこか「隠し事」であったエナジーのことを
真正面から取り組んでいる。
今だって遠隔エナジー・ワークはメニューにあるし、
他の人にとっては隠し事では
ないのだろうけど、
私にとってはそうだった。
「と見せかけて実はエナジー」
ってスタンスだった。
それはそれが自分にとっての
『本道』であったからと思う。
だからこそ、だったの。
70年代のオカルトブームから、
そういう偏向が自分にはあるって分かってた。
当時、
小学生の頃はスピなんて言葉はなくて
「オカルト」、
つまりラテン語で言う
「隠されたもの」だった。
なぜ語源通り
私にとって「隠されたもの」に
していたかと言うと、
こっちへの傾倒が、
自分の満たされない承認欲求の
捌け口になってんじゃないか?との
疑いがあったからなんだな。
つまり、ブスでイケてない自分が
人と違うとか人よりすごいとか
思いたい気持ちをスピに乗っけてないか?
って自問自答があったわけです。
コツコツやって来たんス。
聖書読んだり仏教の本読んだり
ヨガしてみたり、
あ、でも
家の中のまっくろくろすけ追いかけたり
水木しげるやエッシャー、キリコ、
マグリット、ダリ、デルヴォーなんかの
妖怪やねじれた空間といった
面白いもの好き小学生だったよ。
まだまだ興味が四次元的だったよね。
中1の時、
ひょんなことから
代々木の催眠研究所に通わされて
自己催眠(瞑想状態)に入ったり、
その時、意識が体の外に出たり、
ダウジングなんかが出来るようになって
身体と意識に興味が変わって、
関心が五次元的になった。
高校に入ってまた出会いがあって
意識的に肉体の外に出る練習とか、
性エネルギー活用秘法とか練習してた。
当時は、アストラル体で
アカシック・レコードを
読みたいと思っていたんだ。
(今は意識?なんて呼ぶのだろうか、
エネルギーで読むことが出来るよね。
わざわざ分離しなくても。)
でも10代って基本的に
試験勉強ばっかやってるし、
それよりオシャレの方が最重要課題だし、
トンガっていたいし、
恋もしてるし、
瞑想も修行について人と話すことはなかった。
それに、80年代って
なにごとにも『(笑)』をつける、
メタ構造、とんねるず的笑いに支配されてて
正面から向き合うってダサかったんだよね。
そんでも80年代って
ニューエイジ・ブームで
五次元的なものも受け入れやすくなって、
日本の聖地巡りをすると、
この世界の多元的な仕組みを説く人や
いろんな霊能者に合うよね。
私も異言を出すグループに出入りして。
自分のリミッター的なものを外すと
知らない言葉(音)を喋り出して
感情が解放され、
大抵の場合は泣きながら何かを語っていく。
それは
心理セラピーとして感情の解放かも知れないし、
前世の記憶なのかもしれないし、
宇宙語なのかも知れない。
いずれにしても、
私には分からない。
分かりそうな気がする、
あともうちょっとで
何かが分かりそうな気がする。
答えがあるような気がする、
あるのなら、教えてほしい。
そう思っていたけど
周りを見渡せば
指導者も黒いオオカミ(のようなもの)が
憑いていたし
(本人からそう告白された)、
そこに来ていた
いろんなものが分かるという美人姉妹も
へび(のようなもの)が憑いていた。
結局、自分以外のモノを自分に入れると
四次元的な現世に近い何かが入った時、
自分にはよく分からない。
消耗したり、取り込まれたりしても
まだ自分にはそれすらも分からないので、
すっぱりとスピ系の縁を切って、
菜食主義をやめて、
旅に出た。
シベリア鉄道でwww
中国とソ連と東欧諸国を越えて
ドイツに着いたら、
電車が停電して、エレベーターが壊れて、
黄金の空に二重の虹が出て、
…結局、そこでシュタイナーに出会ってしまったw
それから約2年半、
ドイツでシュタイナーを学ぶんだけど、
人智学を学んだと言うより、
人にまみれたことが学びだったと思う。
日本の集合無意識から離れる体験。
日本またはアジア圏の「夢見」に
繋がらない体験。
自然からも切り離される体験は、
八百萬の神(=自然)と共にあった
それまでの感覚とは、まるで違くて。
自分と外の境界が石の壁のようで
仕方がないから、
自分の中の自我意識が育ち、
私は私である。ここにいる。
という感覚が強く息づく。
これがドイツか…!!!
と、このヒフ感のある体験が必要だったんだ。
そして帰ってきたら、オウムのサリン事件。
まだこれについては言語化出来ないけど、
社会的な要因、個人の問題、両面で
思うこと、考え続けることあると思う。
80年代が終わり90年代に入った時、
何かが変わった。
異相、位相、移層…
なんていうか、世界線が変わった感覚があった。
それも日本を離れたかった理由の一つだったと思う。
1993年に帰国して、
95年にサリン事件が起きて、
当時膨れ上がっていたスピがまた
潮が引くように消えて行くのを見て
なかなかスピってのも大変だなぁと
思っちゃったんだよねえ。
当時、私の住んでた部屋の大家さんがヨガの先生で、
一気に周りからの目が変わって大変そうだった。
こんなに人のスピへの評価を気にするのには
まぁ、時空を超えた理由もあったりするよね。
でも、もう正面切ってもいいよねえ。
10代の終わりにね、
旅先(日本のパワースポットなど)で
出会った人たちに自然な流れで
この宇宙の在り様や、魂について
めっちゃ語ってたの。
必要なことが語られる時は、
場の空気も変わって、声の響きも違う。
身を乗り出して聞いてくれる。
でも、
考えてみたらすごく恥ずかしくなった。
こんな人生始まったばっかりの小僧が
何を言ってるのだろう?って。
それにはあるキッカケがあって、
もしかしたら
無自覚なマウントを受けて、
私が恥じ入ったからかも知れない。
それはとても良い事だった、と
むしろ今は思う。
パッカンしたとて、子供だったしね。
すべてタイミング良く出来てるな、
と思う。
だから、今、私にはちょうど良いんだろうな。
真っ正面になって、ちょうど良いんだろうな。
とりとめのない長文でごめんね😊
読んでくれて、ありがと😊
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